2012.02.26 強羅の歴史
強羅の歴史現在の強羅
強羅の歴史を振り返ると、強羅の発展は西欧の優れた文化を取り入れ、近代的にかつ自然の恵みである温泉をうまく調和し取り入れ、発展してきました。それは今日の強羅においてもその面影が残りつつ、近年では交通の利便性から観光の拠点としてさらに発展してきました。
箱根大文字焼きの始まり
箱根登山鉄道の強羅駅を降り立つと正面の山に見える『大』の字は、毎年8月16日夜、行われる強羅温泉最大行事である「強羅大文字焼」の『大』の字です。この山は通称「大文字山」と呼ばれ、正しくは箱根外輪山の一つ標高924mの明星ヶ岳です。
強羅が別荘地として分譲が始まり、箱根登山鉄道が開通後の大正10年から大文字焼が始まりました。小田原電気鉄道(株)が中心となり、別荘所有の財界人、地元宮城野の有志らによって考えられ、強羅で夏を過ごす避暑客を慰め、同時に地元の旧盆の送り火を兼ねて今もなお盛大に行われています。またに強羅は『大』の字と共に歩んできました。
大文字焼きは宮城野青年団の若者によって準備、行われています。2ヶ月も前より炎天下の山腹において刈取乾燥された篠竹の束を350束作ります。『大』の字の輪郭に沿って約1.5m間隔に立て、一すじの花火を合図に点火され、点が線となり字となって皆様の眼前に、『大』の字が浮かび上がります。
『大』の字に焼かれた山脈は、一年を通して見ることができ、強羅のシンボルとして強羅の街を見守ってくれています。