2012.02.26 強羅の歴史
強羅の歴史強羅の発展
駅前広場と強羅駅
現在においても前頁で紹介した街づくりは色濃く残っており、当時の雰囲気は今でも観光にいらっしゃるお客様にやすらぎと懐かしさを与えてくれております。
また別荘に来る人のために、旅館や商店を生業とする人たちも多く入り、街として大きく発展いたしました。
大戦後の強羅橋
後に劇作家として有名な北条秀司氏は昭和の始めには箱根登山鉄道の社員として強羅開発にお力を注ぎ、内外に大きくPRしていただき、強羅をこよなく愛していただきました。
また、『東京音頭』で有名な西条八十氏、中山晋平氏コンビは、強羅によく滞在いただき、その縁で『強羅音頭(おどり)』を作っていただきました。強羅はさまざまな人に愛され、まさに歩みはじめました。
昭和に入り、交通の便がよい強羅は旅館や企業の保養施設が多く建設され、箱根を代表する温泉場となりました。